2011年5月5日木曜日

今 自分の中にある『思いやり』

東日本大震災の発生、そしてその様子を報道するメディアを通じて心境の変化がありました。この場
を借りて、発信させていただきます。


2011年3月13日 報道を見て感じていた違和感はすぐに疲弊感に変わった。とうとうニュースを見ることをやめる。自分ができることは祈ることぐらい。ニュースをずっと見ることはやめても、関心は失わないように、それだけは決めた。

2011年3月18日 佐賀・熊本・鹿児島。色んな営業先で同じ言葉を聞く。「自粛」による「キャンセル」。観光もホテルも大打撃。遠く離れていても経済がつながっていることを実感する日々。そしてmixi上で議論されている「善意」。自粛だけが被災者を想うこと?募金しかできない自分は偽善者?
唐津のお客さんは「自分達がしっかり働いて、経済をまわしていけなくて、誰が支援できるってんだろうね。」と言っていた。自分にとっての善意は、思いやり。思いやりは遠くには届かないかもしれない。でも、隣人には届けられる。困っている人は被災者の人たちだけだろうか?いや違う。自分のまわりにもいるんじゃないか。その人たちに対する気持ちがないまま、東日本の人たちを手助けしようなんて・・・できるのだろうか?昔見た映画で、1つ良いことをしてもらったら、他の人に3つの良いことをしてあげようって少年が学校の宿題の中で思いついて行動に移すストーリーの洋画があった。思いやりの輪は広がる。
思いやりの形はいろいろある。もちろん被災された人たちが優先される、という多少の順位はつくかもしれない。でもそれだけが特別ではない。まわりに「善意」があれば助かる人たちっている。そう思った。

2011年3月22日 打合せの中で、自分が考えていた「思いやり」について話をする機会があった。そして、受け止めてもらえた。とても嬉しかった。
関心をなくさないこと、それに気づけたこと、それを受け入れてもらえたこと。『思いやり』の輪は広がる。



まちづくりネットワークちくごの中で、また一つ、できることを見つけられたみたいです。
皆さんの善意は、どんなかたちですか?

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